牛山のモデルは伝説の鬼「牛島辰熊」史上最強の柔道家の師匠!ゴールデンカムイ
2016/09/18
ゴールデンカムイ登場人物のモデルを探るシリーズ。
今回は豪胆な振る舞いで人気?の「不敗の牛山」について。
そのモデルは誰かと問えば、ずばり牛島辰熊でしょう!
んっ、誰?
と思った人、安心してください。
今からトンデモナイ人物を紹介しますので。
格闘好きの人なら知っているかもしれません。
この人は伝説の柔道家でもあり、史上最強の柔道家「木村政彦」の師匠でもあります。
じっくり見ていきましょう。まずは牛山のモデルだと思った理由です。
牛島のモデルが「牛島辰熊」だと思った理由
理由その1:アダ名が同じ
1つめの理由は、ずばりアダ名が同じだったから。
牛島師匠は、鬼の牛島と呼ばれていましたが、その一方で「不敗の牛島」とも呼ばれていました。
「不敗の牛山」≒「不敗の牛島」
柔道家で不敗が付いている人は、他に居ないはず!
理由その2:苗字に「牛」、名前に「辰」がつく
「不敗の牛山」の本名は、牛山辰馬。
「不敗の牛島」の本名は、牛島辰熊。
2つめの理由は、苗字の「牛」、名前の「辰」が一緒だから。
これは分りやすいですね!
理由その3:風貌が似ている
牛島師匠は、顔の彫りが深く異人の如くだったと言われています。
実際写真を見ると
「これ日本人か?」
と疑いたくなります。
そして牛山も彫りが深く日本人離れしてますよね。
まぁ写真も割りと似てるし。
理由その4:大木への打ち込みは牛島師匠が始めた
第33話で牛山は、土方歳三の隠れ家で大木に向かって打ち込みをしています。
毎朝千回もの打ち込みで
背中や腰の皮膚は踵のように硬くなり
やがて大木を立ち枯れさせてしまうほどであった
出典:ゴールデンカムイ第33話
実はコレ、牛島師匠の修行法の1つで、愛弟子の木村雅彦も受け継いでます。参考文献には、牛島師匠の稽古の様子が書かれていて、
「大木に帯を縛り付けて背負い投げ千本の打ち込み」
と載っていました。
余談ですが牛島師匠の修行において、大木への千本打ち込みは、一日の修行のうちのほんの一部にしかすぎません。
朝は60キロあるローラーを引きながら走りこみ、日中は出稽古して周り、深夜になると庭の大石を抱き上げて筋肉を鍛え、30キロの槌(つち)を両手にもってブンブン振り回す。
そのあと大木に唸り声をあげて体当たりを繰り返した後、大木への千本打ち込みを行うのです。
なので大木への打ち込みは、実際には早朝ではなく深夜に行われていたんじゃないかと。
ところで、いつ寝るんだ?(^_^;)
ちなみに愛弟子で史上最強の柔道家「鬼の木村」の修行は、この修業に輪をかけて厳しいものだったようです。
これだけの修行を日課にしていた牛島師匠は、当然のように鬼・不敗と呼ばれる柔道家になっていきました。
鬼・不敗と呼ばれた牛島辰熊

Photo by 日本スポーツ出版社 - 「柔道100人」=1941年の新聞から転載された写真
牛島師匠が活躍したころの柔道は、まだ柔術の混じる時代。
最初に通った道場は古流柔術の名門。ここでの対抗戦は、判定勝利はなく「参った」と言うまでの戦場方式。
牛島師匠のなかでは柔道はあくまで武道であり、殺し合いであると言い放っています。
試合じゃなくて、死合?(;´∀`)
そんな牛島師匠のモットーは「生の極限は死」「死の極限は生」、死の極限を乗り越えた先の生を理想としていました。
具体的には死ぬ寸前まで稽古をすると、はじめて覚醒して潜在能力が引き出せるようになるとか。。
そのため前述のような鬼の修行を繰り返していました。
試合の前日にはスッポンの肉を食べ血をすすり、当日はマムシの粉を口に含んで試合に望みました。実際、試合ではマムシの臭いを口から撒き散らして、突っ込んで来ます。
マ、マムシのブレスケア?ヾ(;゚□゚)ノギャアアース!!
当時はまだ全日本戦士権はなく、明治神宮大会が事実上の日本一決定戦。(ちなみに武道の流れが濃い当時は、選手権ではなく「戦士権」と言いました)
牛島師匠はその時代に明治神宮大会を3連覇、そして全日本戦士権が始まると今度はそれを2連覇。今で言うところの全日本選手権を5連覇していることになります。
しかし天覧試合だけは、運がありませんでした。
当時、天覧試合というのは、今では想像つかないぐらいのステイタス。
1回目の天覧試合は、判定で準優勝で臍(ほぞ)を噛みます。
2回目の天覧試合は、肝臓ジストマと胆石と肋膜炎(きょうまくえん)の併発で入院し体重が90キロも落ちた最中での参加。昭和天皇からのお見舞いのお言葉もあり必死の気構えでしたが、予選リーグで敗退という残念な結果に。
ここで体力の限界を悟った牛島師匠は、一線を退き「牛島塾」を開いて後継を育てることに専念したのです。
そこで育った愛弟子こそが、15年一度も負けなしで史上最強の柔道家と言われた「木村政彦」です。
史上最強の愛弟子「鬼の木村」

Photo by Внук-Татугма / CC 表示-継承 3.0
「鬼の木村」は柔道界の伝説で、これより強い人はいないと言われています。
その戦歴は15年不敗、13年連続日本一、もちろん天覧試合も優勝。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた伝説の柔道家。
柔道家ではあります、あらゆる武道に対抗できるよう空手・ボクシングなども見につけています。
ブラジルに渡った際には、ブラジルの英雄でグレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーを破りました。今でも『キムラロック』といえば、世界中の格闘家に通じるほど有名な技を残した人。
対戦した人の感想は、
「とにかく痛い」
およそ柔道家とは思えない発言だけど、とにかく「痛い」らしいんです。
技の速度、切れ味、全て凄いんですが、鍛え上げられた手脚は鋼鉄のようになっていて、当たるととにかく痛いとのこと。
足払いをうけると鉄の棒で殴られた感覚だとか‥。
しかも技が切れすぎて、受け身を取れず失神することから、稽古時にはみな「大外刈りは勘弁してくれ」と頼んでいたらしい。
「鬼の木村」の強さの秘訣は、若いうちに牛島師匠に目をかけられ、一心同体の稽古をして来たからこそ。柔道に対する姿勢や取り組み方は、牛島師匠そのものなのです。
握力計握りつぶしたりとか、人間とは思えないんですけどね‥。
再び牛島師匠の伝説にもどります。
マジか!東条英機暗殺未遂

Photo by 日本スポーツ出版社 - 「柔道100人」=1941年の新聞から転載された写真
牛島師匠は柔道に生涯をかけた人だけど、同時に憂国の士でもありました。
帝国陸軍の奇才、石原莞爾と交友があり、そこから東条英機暗殺計画に関わることになります。
関わるというか実行犯を買ってでる。。Σ(´∀`;)
この時点で日本はミッドウェー会戦で大敗し、敗戦に向けてまっしぐら。しかし大本営発表では連戦連勝。今も昔も変わらぬ日本の姿ですね。
このとき交友のある将校から、日本の実情を伝えられ、日本のために陛下のために立ち上がりました。
暗殺方法は、開発中の毒の瓶(青酸カリ)を投げての皆殺し計画。これが自分も巻き込まれるのが前提の神風アタックなんです。
しかし決行直前で東条英機内閣が総辞職。
機会を失った牛島師匠は、後に密告で逮捕されてしまいます。
しかしその後の東京大空襲を経た軍法会議では、牛島師匠の行動は国を憂いたものとされ、執行猶予付きで釈放されます。
このように本物の志士だったわけです。
まとめ
牛山のモデル牛島師匠は、侠気あふれるまさに一匹狼。柔道団体における政治的な活動を嫌悪し、一心不乱に柔道の強さのみを求めた人でした。
それだけではなく一線を退いてからは、憂国の志士でもあったわけです。
それに対して愛弟子の「鬼の木村」は、柔道以外に興味がなく、奔放で腕白であり、喧嘩もするしヤクザとも使う無頼漢でした。
ゴールデンカムイで描かれている「不敗の牛山」は、見た目は牛島師匠だけど、性格は「鬼の木村」をモデルにしたんじゃないかと思います。
ちなみに牛島のオデコのはんぺんは何なんでしょうね‥(;´Д`)
参考文献
・増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

漫画が大好き。雨の日も晴れの日も引きこもって漫画ばかり読んでいるから色白。 ついたアダ名は「もやし男」。。
好きな漫画は、バカボンド、キングダム、蒼天航路、花の慶次、エアマスター、ゴールデンカムイ、嘘喰い、うしおととら、北斗の拳。
特技は漫画のセリフを暗記すること。
おすすめ記事
-
1
-
無料漫画アプリのランキング!30代におすすめの青年漫画が充実
無料で漫画が読めるアプリって、実は結構多いんです。 でも、どのアプリが良いかなん ...
-
2
-
ヤムチャで人生やり直し?「転生したらヤムチャだった件」のネタバレ紹介!ネタが深くて面白い
ある日、ヤムチャに転生してしまったら・・・。 そんな斬新な設定が魅力の「転生した ...
-
3
-
【最新版】漫画のレンタル最安値!漫喫、電子書籍、宅配、店頭を比較
おもしろい漫画だけど、買うほどでは‥。 でも続きは読みたい。 なんてことは良くあ ...