【ゴールデンカムイ】牛山のモデルは伝説の鬼「牛島辰熊」史上最強の柔道家の師匠!

牛山のモデル - 牛島辰熊 ゴールデンカムイ
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ゴールデンカムイ登場人物のモデルを探るシリーズ。

今回は豪胆な漢らしさで人気の『不敗の牛山』について。

そのモデルは誰かと問えば、ずばり柔道家の牛島辰熊でしょう!

この人物、ホントとんでもない漢ですよ。

格闘好きの人なら知っているかもしれません。この人は伝説の柔道家でもあり、史上最強の柔道家「木村政彦」の師匠でもあります。

じっくり見ていきましょう。

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ゴールデンカムイ 牛島のモデルが牛島辰熊だと思った理由

牛島辰熊
Photo by ポプラ書房 – 『スポーツ人国記』(published in 1934)

牛島のモデルが、牛島辰熊だと思ったのは4つの理由があります。

理由その1:アダ名が同じ

1つめの理由は、アダ名が同じだったから。

牛島辰熊は『鬼の牛島』という異名のほかに、『不敗の牛島』という異名もありました。

『不敗の牛山』≒『不敗の牛島』

これは非常にわかりやすい比較ですよね。

それに不敗がついてる柔道家は他にいないはず!

理由その2:苗字に「牛」、名前に「辰」がつく

ゴールデンカムイの牛山の本名は、牛山辰馬。
実在のモデルである牛島の本名は、牛島辰熊。

2つめの理由は、苗字の“牛”、名前の“辰”が一緒だから。

これも分りやすいですね!

理由その3:風貌が似ている

牛島辰熊は、顔の彫りが深く異人みたいだったと言われています。

実際写真を見ると

「これ日本人か?」

とちょっと疑いたくもなります。

そしてゴールデンカムイの牛山も彫りが深くて、日本人離れしてますよね。

まぁ写真もよく似てるかなと。

理由その4:大木への打ち込みは牛島師匠が始めた

第33話で牛山は、土方歳三の隠れ家で大木に向かって打ち込みをしています。

毎朝千回もの打ち込みで
背中や腰の皮膚は踵のように硬くなり
やがて大木を立ち枯れさせてしまうほどであった

出典:ゴールデンカムイ第33話

実はこれ牛島辰熊の修行法の1つ。愛弟子の木村雅彦も受け継いでます。

記事の下部で紹介している参考文献には、牛島辰熊の稽古の様子が書かれていて、

“大木に帯を縛り付けて背負い投げ千本の打ち込み”

と載っていました。

余談ですが牛島辰熊の修行において、大木への千本打ち込みは、一日の修行のうちのほんの一部にしかすぎません。

朝は60キロあるローラーを引きながら走りこみ、日中は出稽古して周り、深夜になると庭の大石を抱き上げて筋肉を鍛え、30キロの槌(つち)を両手にもってブンブン振り回す。

そのあと大木に唸り声をあげて体当たりを繰り返した後、大木への千本打ち込みを行うのです。

なので大木への打ち込みは、実際には早朝ではなく深夜に行われていたと思います。

ちなみに愛弟子で史上最強の柔道家『鬼の木村』の修行は、この修業に輪をかけて厳しいものだったようですよ。

これだけの修行を日課にしていた牛島辰熊は、当然のように鬼・不敗と呼ばれる柔道家になっていきました。

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鬼・不敗と呼ばれた牛島辰熊

Photo by 日本スポーツ出版社 - 「柔道100人」=1941年の新聞から転載された写真
Photo by 日本スポーツ出版社 – 「柔道100人」=1941年の新聞から転載された写真

牛島辰熊が活躍したころの柔道は、まだ柔術が混じっている時代。

最初に通った道場は古流柔術の名門。ここでの対抗戦は、判定勝利はなく「参った」と言うまでの戦場方式。

牛島師匠のなかでは柔道はあくまで武道であり、殺し合いであると言い放っています。

試合じゃなくて、死合?(;´∀`)

そんな牛島師匠のモットーは「生の極限は死」「死の極限は生」、死の極限を乗り越えた先の生を理想としていました。

具体的には死ぬ寸前まで稽古をすると、はじめて覚醒して潜在能力が引き出せるようになるとか。。

そのため前述のような鬼の修行を繰り返していました。

試合の前日にはスッポンの肉を食べ血をすすり、当日はマムシの粉を口に含んで試合に望みました。実際、試合ではマムシの臭いを口から撒き散らして、突っ込んで来ます。

マムシブレス?(;゚□゚)

当時はまだ全日本戦士権はなく、明治神宮大会が事実上の日本一決定戦。(ちなみに武道の流れが濃い当時は、選手権ではなく「戦士権」と言いました)

牛島師匠はその時代に明治神宮大会を3連覇、そして全日本戦士権が始まると今度はそれを2連覇。今で言うところの全日本選手権を5連覇していることになります。

しかし天覧試合だけは、運がありませんでした。
当時、天覧試合というのは、今では想像つかないぐらいのステイタス。

1回目の天覧試合は、判定の準優勝で残念な結果となります。

2回目の天覧試合は、肝臓ジストマと胆石と肋膜炎(きょうまくえん)の併発で入院し体重が90キロも落ちた最中での参加。昭和天皇からのお見舞いのお言葉もあり必死の気構えでしたが、予選リーグで敗退という残念な結果に。

ここで体力の限界を悟った牛島師匠は、一線を退き「牛島塾」を開いて後継を育てることに専念したのです。

そこで育った愛弟子こそが、15年一度も負けなしで史上最強の柔道家と言われた「木村政彦」です。

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史上最強の愛弟子『鬼の木村』

『鬼の木村』は柔道界の伝説で、これより強い人はいないと言われています。

その戦歴は15年不敗、13年連続日本一、もちろん天覧試合も優勝。

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」

とまで言われた伝説の柔道家。

柔道家ではあります、あらゆる武道に対抗できるよう空手・ボクシングなども見につけています。

ブラジルに渡った際には、ブラジルの英雄でグレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーを破りました。今でも『キムラロック』といえば、世界中の格闘家に通じるほど有名な技を残した人。

対戦した人の感想は、

とにかく痛い

およそ柔道家とは思えない発言だけど、とにかく「痛い」らしいんです。

技の速度、切れ味、全て凄いんですが、鍛え上げられた手脚は鋼鉄のようになっていて、当たるととにかく痛いとのこと。

足払いをうけると鉄の棒で殴られた感覚だとか‥。

しかも技が切れすぎて、受け身を取れず失神することから、稽古時にはみな「大外刈りは勘弁してくれ」と頼んでいたらしい。

「鬼の木村」の強さの秘訣は、若いうちに牛島師匠に目をかけられ、一心同体の稽古をして来たからこそ。柔道に対する姿勢や取り組み方は、牛島辰熊そのものなのです。

握力計握りつぶしたりとか、人間とは思えないんですけど・・・。

再び牛島辰熊の伝説にもどります。

マジか!東条英機暗殺未遂

Photo by 日本スポーツ出版社 - 「柔道100人」=1941年の新聞から転載された写真
Photo by 日本スポーツ出版社 – 「柔道100人」=1941年の新聞から転載された写真

牛島師匠は柔道に生涯をかけた人だけど、同時に憂国の士でもありました。

帝国陸軍の奇才、石原莞爾と交友があり、そこから東条英機暗殺計画に関わることになります。

関わるというか実行犯を買ってでる。。Σ(´∀`;)

この時点で日本はミッドウェー会戦で大敗し、敗戦に向けてまっしぐら。しかし大本営発表では連戦連勝。今も変わらぬ日本の姿ですね。

このとき交友のある将校から、日本の実情を伝えられ、日本のために陛下のために立ち上がりました。

暗殺方法は、開発中の毒の瓶(青酸カリ)を投げての皆殺し計画。これが自分も巻き込まれるのが前提の神風アタックなんです

しかし決行直前で東条英機内閣が総辞職。
機会を失った牛島師匠は、後に密告で逮捕されてしまいます。

しかしその後の東京大空襲を経た軍法会議では、牛島師匠の行動は国を憂いたものとされ、執行猶予付きで釈放されます。

このように本物の志士だったわけです。

まとめ

ゴールデンカムイ牛山のモデルの牛島辰熊は、侠気あふれるまさに一匹狼。柔道団体における政治的な活動を嫌悪し、一心不乱に柔道の強さのみを求めた人でした。

それだけではなく一線を退いてからは、憂国の志士でもあったわけです。

それに対して愛弟子の『鬼の木村』は、柔道以外に興味がなく、奔放で腕白な無頼漢。

ゴールデンカムイで描かれている『不敗の牛山』は、見た目は牛島師匠だけど、性格は『鬼の木村』をモデルにしたんじゃないかと思います。

ちなみに牛山のオデコのはんぺんは何なんでしょうね・・・(;´Д`)

参考文献

①増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

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