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新選組最強?ゴールデンカムイ登場の永倉新八の強さはどれくらいだったのか

日本刀の写真 ゴールデンカムイ
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日本刀の写真

ゴールデンカムイに登場する永倉新八。

もう遁世したような発言をしてたのに、なんだかんだで土方歳三の相棒としてずっと行動を共にしている、小柄なおじいちゃんです。

土方歳三は言わずもがな、この永倉新八も実在の新選組幹部。

こちらが晩年の写真で、漫画のビジュアルも本人に似せているのがわかりますね。

近藤勇や沖田総司など、あっちこっちのゲームや漫画に登場する人物に比べると、ちょっと目立ちませんが、永倉新八は新選組最強の誉れも高い人物です。

新選組ってね、いろんな二次創作作品のおかげで、なんかもうファンタジー化してるじゃないですか。

最強無敵の剣士集団っていう。

その新選組で最強と謳われる永倉新八、実際どれくらい強かったのか?

実際のエピソードから、永倉新八の強さを探ってみました!

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永倉新八って、どんな人?

強さを論じる前に、ちょっと永倉新八という人物について知っておきましょう。

ゴールデンカムイの登場キャラクターの中では、比較的常識人っぽい雰囲気を持つ彼ですが、いったいどんな人物だったんでしょうか?

新選組幹部では、数少ない生き残り

新選組は戊辰戦争で旧幕府軍として戦いますが、後の明治政府となる新政府軍に大敗を喫します。

戦いの中で多くの志士が散り、新選組の幹部クラスで生き残ったのは斎藤一、島田魁、永倉新八の3名のみでした。

永倉新八は戊辰戦争の数少ない生き証人であり、彼が残した手記やインタビュー内容は、当時の幕末を語る貴重な資料となっています。

ちなみに史実の土方歳三は、戊辰戦争の最後の戦いとなった函館五稜郭の戦いで、35歳で落命しました。

ゴールデンカムイでは、五稜郭の戦い後に網走刑務所に投獄されたって設定になってるみたいですね。

土方歳三は銃弾に腹を貫かれて即死だったそうですが、遺体は行方不明になっているので、そのエピソードを利用して存命だったって設定にしたんでしょう。

でも、35歳から白髪の爺さんになるまで刑務所にいたってことは、30~40年はムショ暮らしだったってこと?

それとも、投獄されたのはもっと後って設定なのかな…。ゴールデンカムイ作中で語られるかどうかはわかりませんが、このへんもちょっと気になりますね。

がむしゃらだから、あだ名は「がむしん」

永倉新八のあだ名は「がむしん」。

がむしゃらな性格だったから、がむしゃら新八→がむしん、と呼ばれていたそうです。

  • 池田屋事件で刀と防具がボロボロになるまで戦う
  • 脱退覚悟で近藤勇の横暴を会津藩主へ訴える
  • 鳥羽・伏見の戦いで決死隊を率いる
  • 日清戦争勃発時には齢55歳にして抜刀隊に志願する(断られたけど)

など、そのアツい戦いぶりと生きざまからも、がむしゃらっぷりが伺えます。とにかく真っ直ぐで、走りだしたら止まらない性格の人物だったみたいですね。

真っ先に戦いの前線に立ったり、近藤に臆することなく意見したりと、新選組の中では、銀英伝でいうところのビッテンフェルトみたいな立ち位置だったのかも。

一生を剣に捧げた永倉新八の人生

8歳で神道無念流剣術の道場に入った永倉新八は、その後の人生を、まさに剣とともに生きた人です。

22歳で神道無念流の免許皆伝となり、25歳の時に剣術修行の旅に出て、各地で道場破りをしていました。

旅を終えた後は江戸に戻って後の新選組隊長となる近藤勇と出会い、共に京へ上って、新選組の前身となる浪士組に参加します。

新選組結成後は二番隊の隊長と撃剣師範を努め、新選組が参加したほとんどの戦いで剣を振るいました。

しかし、徐々に近藤・土方とソリが合わなくなり、1868年の鳥羽・伏見の戦いを最後に新選組を離脱。

ゴールデンカムイで土方が永倉を訪ねたのは、新選組時代に仲が良かったからではなく、そもそも生き残りがいなかったのと、永倉が北海道に住んでいたのが理由でしょうね。

話を史実に戻すと、新選組離脱後の永倉新八は、同じく脱退した新選組メンバーと共に靖兵隊を結成し、旧幕府軍として各地を転戦します。

その戦いも生き抜き、戦後は北海道の松前藩に渡って、松前藩の藩医であった杉村家の婿養子となりました。この時、杉村治備と名を改めています。

杉村家に入り家督を継いだ後も剣を捨てることはなく、北海道の刑務所で剣術師範を務め、退職後は東京で剣術道場を開きました。

晩年は小樽に移り、孫と映画を楽しむ悠々自適の老後でしたが、「竹刀の音を聞かないと飯が喉を通らない」「自分は剣術の他に能はない」と言って、最後まで剣術に携わり、剣から離れることはありませんでした。

享年は77歳。戦いではなく、病気でその生涯を終えています。

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永倉新八の「強さ」への評価

えー、すっかり前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

アツい男であり、剣士として生涯鍛錬を欠かさない人であった永倉新八。

彼の強さはどのように評価されていたのでしょうか?

一に永倉、二に沖田、三に斎藤の順

新選組志士のひとり、阿部十郎は、新選組幹部の強さについて「一に永倉、二に沖田、三に斎藤の順」「(永倉の稽古は)沖田よりはちと稽古が進んでおりました」という評価を残しています。

天才剣士として知られる、あの沖田総司よりも上!

ちなみに永倉新八は、沖田総司の剣について「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされた。恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」と語っています。

沖田総司の強さは、精鋭揃いの新選組の中にあっても、一段レベルの違うものであったようですね。

でも、阿部十郎はその沖田総司よりも、さらに永倉のほうが強いと評したわけで…

これはもう、永倉おじいちゃん、べらぼうに強かったんじゃ!?

晩年、絡んできたヤクザを圧倒

永倉新八の晩年は穏やかで、よく孫と映画館に通っていたそうです。ほのぼの。

ある時、映画館で地元のヤクザ数人に絡まれましたが、持っていたステッキでヤクザ3名に即座に突きを入れ、鋭い眼光と一喝でヤクザを圧倒したというエピソードが残っています。

常に戦いの前線に身を置き、人を斬ってきた人間の凄みってものがありそうですよね。

ただの爺さんと子供と思って絡んだヤクザもびっくりでしょう。

ゴールデンカムイ作中でも、永倉が牛山相手に凄むシーンがありましたね。

とりあえず、永倉新八が強かったのは間違いない

新選組の誰が1番強かったのかというのは、新選組好きなら誰もが気になり、そして永遠に答えの出ない問い。

新選組内での格付け試合なんてものはなかったし、残されている逸話や資料から想像するしかないんですよね。

それにしたって、当事者みんなが過去の人なので実証のしようもないし。

でもだからこそ、思い入れのある志士の強さに妄想が膨らむんですよねえ。最強って響きにはロマンがあります。

新選組で誰が最強だったのかは、それこそ志士の数だけ主張がありますが、永倉新八は必ず名が挙がる1名であり、その有力な一角を担っていることは間違いありません。

永倉の生きざまを見ても、人生を剣に懸けていたことがわかりますしね。

ゴールデンカムイでは、まだ脇役に徹していて、その最強っぷりの片鱗しか見せていない永倉おじいちゃん。

今後どんな活躍をするのか、どんな役回りを演じるのか?

実際の永倉は、小樽で杉村家の人間として孫と映画館通いする晩年を送りましたが、ゴールデンカムイ作中では「永倉新八」として、どんなエンディングを迎えるのか…

史実との違いや共通点にも、注目したいところです!

 

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